後鳥羽上皇の近くに仕える僧、()(えん)には、このコラムでも随分お世話になっています。正確には慈円の著作『()(かん)(しょう)』に、ですが。

#24で、田中直樹さん演じた九条(藤原)かねざねとその日記『(ぎょく)(よう)』を紹介しました。慈円は兼実と同母弟で、6歳違いです。

『愚管抄』も『玉葉』同様に、この時代を知るうえで重要な作品です。この兄弟が書き残してくれたおかげで、複雑怪奇な社会情勢・事件・人間関係を知ることができるのです。今回は、慈円と『愚管抄』について少し紹介しましょう。

藤原氏の中でも摂関になれる家柄は限定されていました。兼実はその家柄です。三男でしたが当主になり、文治2(1186)年には摂政に、建久2(1191)年には43歳で関白になりました。

慈円は13歳で比叡山に入ります。その血筋からして、比叡山でもエリートコースが約束されていました。もちろん、厳しい修行も重ねていきますが、修行のみで生きることは許されません。

兄が関白になった翌年に、天台座主ざす(比叡山の長官)になります。その後、辞任と再任を繰り返し、計4度、座主になります。()()(そう)(宮中で天皇の安穏を祈る僧)となり、上皇に仕え、その成長を見守っていきます。

『愚管抄』は、承久の乱(1221年)直前の緊迫した情勢の中で、上皇に献上した書物と言われています。日本という国を動かしてきたものは何か、慈円なりの思索をめぐらして、古代から歴史を説き起こしていきます。日本史をひもといた書と言えます。

慈円にとって重要なことは、皇室を守り、共に歩んできた藤原氏、特に摂関家の立場の重要性を主張することでした。皇室と藤原氏が手を携えてこそ、日本の平和が築けるのです。

『愚管抄』には、慈円の同時代史も生き生きとつづられています。立場上入手できた極秘情報が満載です。朝廷内の機密だけでなく、東国の動きもいちはやく伝えられます。もちろん、京に居ながらの情報ですから、正確さを欠くこともありますが。

遠慮がちにではありますが、慈円自身も登場します。

たとえば、兼実が失脚して関白を辞めさせられたときには、「九条殿の弟で山の座主であった人も辞任した」と加え、「頼朝も大変に恨めしく思った」と、頼朝との関係の深さをさりげなく示しています。

また、兼実の息子で後継者の九条(よし)(つね)は慈円の甥です。和歌や漢詩に長けていました。良経が摂政になったときには、よい人事であると上皇が自画自賛したと書き、続けて、「山の座主慈円という人がいて、九条殿の弟である。信じられないが、本格的な歌人であったので、摂政と同様にもてなされ、『必ず参上するように』との上皇のご意向もあり、常に()(こう)していた。院の御持僧として、昔から類なく信頼されている人とのことである」と、まるで他人ひとごとのように記しながら、自己アピールも忘れません。

上皇とともに和歌に親しみ、政治的にも精神的にも支えています。九条家の立場を保ちつつ、仏法興隆に尽力し、上皇と国家のために祈り、上皇と共に歩んでいきます。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。