頼家重篤の緊急事態が新しい局面を生みます。次の鎌倉の長と、その後見役を狙って、比企と北条の闘いが始まりました。そのために、どれだけの人が翻弄され、苦しみ、傷ついたことでしょう。

義時の妻も犠牲者の一人です。『吾妻鏡』では「姫の前」。ドラマでは堀田真由さん演じる「比奈」ですね。

かつて、伊豆に配流された頼朝を支えるために、京から関東に下った乳母(めのと)(比企尼)の孫娘です。比企能員(よしかず)は尼の甥ですが、養子となっています。姫の前にとって、義理の叔父にあたります。

姫の前は大変な美貌であり、頼朝の御所に仕えて権力を持ち、頼朝の仲介で義時の妻となりました。比企と北条との連帯を強めようという意図は明らかです。

2人の間には建久5(1194)年には朝時が、建久9(1198)年には重時が生まれます。頼朝が生きていたら、順調な生活を送ったでしょう。ところが、建久10(1199)年の頼朝逝去の後、比企と北条の間の溝が拡がります。実家と婚家の板挟みとなり、どれほどの心労が重なったことでしょう。

そして、建仁3(1203)年9月に事件が起きます。実家に敵対した北条を憎むか、はたまた婚家の北条に(いと)われるか。いずれにしても、今までどおりの生活を送ることはできません。平穏な生活が踏みにじられました。

姫の前はこの後、どのような人生を送ったのでしょう。実は、事件の翌年、元久元(1204)年、京で男児を産んでいます。再婚していたのです。

事件の後に鎌倉を去ったとも考えられますが、事件が起きる前に鎌倉を去った可能性もあるでしょう。衝突が避けられないと予測して、事前に生き延びさせる方策がとられたとも考えられます。比企のはからいか、いや、義時の苦渋の選択か……。

尼になることなく、両家の板挟みになることなく生き長らえるためには、鎌倉を遠く離れた京で再婚させるのがいちばんと考え、ひそかに、相手を捜したと考えられます。内密の依頼を引き受ける、信頼できる人物が京にいたことがわかります。事件後の依頼となれば一層、相応の人脈を確保していなくては、京で女一人、生きていけません。

新しい夫は源(とも)(ちか)です。政治的な活動はありませんが、正治2(1200)年から後鳥羽院近臣の歌人として活躍し、翌年、『新古今和歌集』編纂のために設けられた和歌所寄人よりうどに選ばれ、和歌の選定作業に関わります。『新古今集』は建仁3年4月に仮にできあがり、その後も編集が続き、元久2(1205)年に一旦完成します。

妹に()(ない)(きょう)という歌人がいます。後鳥羽院からその才が絶賛されましたが、姫の前が具親との子をもうけた後、1、2年のうちに(よう)(せい)したようです。具親の家では、短時日の間に、大事件が次々と起きていたのです。

姫の前も新しい環境、生活様式、人間関係のもとで、必死に生きていったのでしょう。しかしながら、脳裏に去来する思いはどのようなものだったのか。

姫の前は、建永2(1207)年3月、出産の数日後に、数奇な人生を終えました。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。