頼朝と血を分けた兄弟、と言っても、母が違えば他人も同然。実の親とさえも敵味方となって争うことのある時代に、“血”の結束はどれほど強いものだったのでしょうか。

利用できるときは血族として重んじ、都合が悪くなれば容赦なく切り捨てる。義経の例があります。そのような過酷な現実を目の当たりにする時代を、現代の尺度で測るわけにはいきません。すると、まがりなりにも頼朝の死を見届けることのできた(ぜん)(じょう)は、順調な人生だったのでしょうか。

全成は、当時の記録類にはほとんど姿を見せず、その生涯や性格などをうかがい知ることは困難です。今回、新しい全成が三谷幸喜さんの脚本と新納(にいろ)慎也さんの演技で生まれました。

さて、全成は、義経の7歳上の同母兄。兄弟の母・常盤が、平治の乱で夫・義朝が敗れたことを知って、3人の子どもを連れて逃亡するいたましい姿は、以前にも紹介しました。長男の今若(全成)は気丈にも母を慰め、支えます。頼もしい兄です。

その後、出家させられて成長し、『平治物語』によれば、「醍醐悪禅師」と呼ばれました。「悪」は、法に背くとか反道徳的といった意味ではなく、抜群の能力や気力、体力を持っている人を指して使います。

ただ、全成は、「希代の(あら)(もの)」とも書かれています。めったにないほどの荒くれ者で、実行力ある法師とされたのでしょうか。

頼朝の挙兵を知って東国に赴いたとされます。『吾妻鏡』によると、挙兵の10日後には箱根山にいて、敗走中の佐々木兄弟と合流します。京で頼朝挙兵を知ってから東国に向かうのでは、日数が足りません。頼朝の挙兵以前から、すでに頼朝と連絡をとっていたからこそ可能な行動では、と疑われます。

次には、頼朝が房総半島に落ちた後に下総(しもうさ)(のくに)で対面し、頼朝は京都から駆けつけた全成の志に感涙を流したと記されています。

全成はその後、政子の妹(阿波局。宮澤エマさんが熱演中ですね)と結婚して子どもをもうけました。しかし、子どもの年齢から逆算すると、頼朝の挙兵以前どころか、頼朝と政子の結婚以前に、既に妹と通じていたことになります。

すると、北条氏と頼朝が交流を持ったきっかけの一つには全成の存在があった、という可能性も視野に入ってきます。

阿波局は(せん)(まん)(後の実朝)の乳母(めのと)となりますが、夫の全成の動向はほとんどうかがえません。頼朝の死後になって、御家人たちの権力争いと共に、足跡が記されることになります。

『吾妻鏡』のそれまでの空白は、あるいは、北条氏の婿であり、実朝の乳母夫(めのと)という立場が、その後の北条氏の繁栄からして好ましくない存在と見なされて、削除されたのでしょうか。あるいは、義経の末路や頼朝の行動を見て、本当に、目立たぬように、表に出ないように注意深く生きてきた証なのでしょうか。想像をたくましくするしかありません。

なお、駿河国の阿野に住んだところから、阿野全成ともいわれています。そう。後に、後醍醐天皇の(ちょう)()、悪女という伝説の広がった阿野(れん)()の先祖になります。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。