曽我兄弟の物語は『曽我物語』をはじめ、能や文楽・歌舞伎などの題材にも多くとられて、有名です。

曽我兄弟の実の父は、(かわ)()(すけ)(やす)です。伊豆国の伊東庄をめぐる所領争いから、工藤(すけ)(つね)に殺されました。祐泰の妻は、5歳と3歳の兄弟を連れて、曽我(すけ)(のぶ)と再婚し、子どもたちも曽我の里で成長しました。

実父を殺された経緯を聞かされた兄弟、特に弟の五郎は恨みを捨てきれず、兄と共に、工藤をつけ狙っていました。

とうとうその機会がやってきました。頼朝よりとも主催の大規模な(まき)()りです。次期将軍となる万寿(頼家)のデビューとも言える、一大イヴェントでした。雨の夜、派手な大立ち回りの末、頼朝の側近となっていた工藤を討ち果たしました。

ややこしいことに、実父・河津祐泰の父は伊東(すけ)(ちか)。そう、八重の父。浅野和之さんが演じましたね。頼朝と八重の子ども、千鶴御前の祖父でありながら、平家の顔色をうかがい、ひそかに孫を殺させました。兄弟は、頼朝の周辺にいたのです。弟の烏帽子親が北条時政でもあり、複雑なつながりがあります。

さて、ここで話題にしたいのは、兄弟の育った環境です。兄弟は幼いときに父を亡くしました。兄弟に父の思い出はほとんどありません。

母は再婚し、新しい生活になじみ、幸せになろうとしています。弟は母のもとを離れ、箱根権現の稚児(ちご)となりました。が、父の敵を討ちたいとの思いを胸に、箱根を去ります。

義経の育った環境が重なります。義経は生後まもなく父を失い、全く父のことは知りません。母は一条(なが)(なり)と再婚し、義経は鞍馬に預けられ、そこで成長しました。そして、鞍馬で実父のことを知り、武芸の練習に励み、やがて出奔(しゅっぽん)します。

頼朝も父を殺された衝撃は抱えていたでしょう。13歳の頼朝は父の死の直前までそばにいたので、父との思い出は深く刻まれていたと思います。しかし、曽我兄弟、特に弟の五郎と義経に、父の記憶はありません。

そのために、かえって父への思慕(しぼ)が膨らみ、それが敵への憎悪をかきたたせることとなった点、頼朝とは異なります。

また、頼朝は新しい組織を作る、「公」的側面を背負っていくのに対し、義経は平家を滅亡に追いやった後、まもなくこの世を去りました。頼朝とは異なり、「私」の感情を優先させる人生を送ることができました。

親の敵を討つという、個人的な目的を遂げて、人生を終えた兄弟との共通性は、頼朝よりも義経のほうが格段に大きいですね。

義経と曽我兄弟は、芸能の世界で大いに羽ばたきます。彼らが共有する苦難の少年時代は、敵討ちの物語にどのような影響を与えたことでしょう。

ところで、兄の十郎には、虎御前という恋人がいました。十郎の死後、虎御前は出家して全国を歩き、亡き人たちの人生を語り、だいを祈りました。十郎を慕いながら穏やかに迎えた往生を記して、『曽我物語』は幕を閉じます。

義仲と別れたともえ、義経を思って舞った静、それぞれに異なる後半生を送りますが、中世の文学は、先に逝った大切な人の面影を胸に生きる女性を、印象的に点描していきます。 

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。