後白河法皇の評判は芳しいものではありません。誕生したときには、すでに兄(崇徳天皇)が即位しており、天皇になる可能性はありませんでした。

10歳を過ぎたころから今様(いまよう)に熱中し、それを知った父(鳥羽院)は、「世間の評判になるほど今様などにふけって、天皇になる器ではない」と思ったと、『()(かん)(しょう)』に記されています。

それが運命の悪戯(いたずら)で、即位することになりました。中継ぎの天皇だったので、期待されていませんでしたが。

若き日の後白河を支えたのは(しん)西(ぜい)でした。その信西が、後白河を「(あん)()の王」と評しています。側近の藤原(のぶ)(より)が謀反を起こそうとしていることに全く気づかない、いくら忠告しても聞き入れないことを批判したものです。

信西と信頼は対立していました。信西は信頼の動向を察知していたのです。そして信頼は平治の乱を起こし、信西は自害しました。

信西は同時に、後白河の「徳」を2点あげていました。一つは、本来ならば王としては大きな欠点となるものだが、あまりに愚かなので、かえって徳とするしかないと皮肉って、もし何かことを遂げようと思ったら、人がいくら制止してもやり遂げること。

もう一つは、自身が聞いて心にとどめたことは、年月がたっても、決して忘れないこと。なかなか粘着質的な一面がうかがえます。

天皇の位は、予定どおり3年で下りました。しかしその後、30年余りにわたって、院政を敷きました。人生はどこで何がどうなるか、わからないものですね。

そして、長年君臨してきた後白河法皇に、最大級の厳しい言葉を投げつけたのがよりともでした。頼朝は、法皇を「日本一の大天狗」と言い放ったのです。

私たちの想像する天狗とは、鼻が高くて大きく、山伏(やまぶし)のような衣装で高を履き、うちわを持って、大きな翼で自由自在に空を飛ぶ、妖怪のような恐ろしい存在でしょうか。いくら頼朝でも、法皇に向かってそのような言葉を吐けるのでしょうか。

しかし、このころの天狗は、現代人の想像とは異なります。仏法を惑わすために、人に()いて世を乱す天魔、怨霊(おんりょう)のようなものです。

平家滅亡後、法皇は、義経に強く要請されて、頼朝追討の(せん)()を出しました。その後、義経と行家が都を出て旗色が悪そうだとわかると、すぐに、2人の追討の院宣(いんぜん)を出します。場当たり的で、身を守るためには、何と思われてもかまいません。

頼朝の怒りをおそれた法皇は、弁明の書状を送ります。行家・義経に「天魔」が取り憑いて、頼朝追討命令を無理やり出させたのだというのです。それを読んだ頼朝は、「日本一の大天狗とは決して他のだれでもありません」と言い返しました。

あなたが言った「天魔(=天狗)」とはあなたご自身のことでしょう、しかも、「日本一の」と。法皇が2人の背後にいることを知っていますぞ、と、強烈な皮肉を込めて返したのでした。

同時代の、重要な人々からの厳しい批判にさらされる法皇です。それでも、“治天の君”という存在は、動かしがたいものです。 

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。