機を見るに敏? この「?」が源行家の人生の評価でしょうか。
行家ゆきいえ頼朝よりとも・義経・義仲たちの末の叔父です。平治の乱(1159年)で戦い、敗れた後は、『平家物語』によれば熊野に隠れていたそうで、次に姿を現わしたのが以仁王(もちひとおう)の乱(1180年)です。

以仁王の(りょう)()を諸国の源氏に届けます。機密文書を運ぶのですから、よほど信頼が厚かったのでしょう。ただ、行家自身は令旨を賜りませんでした。

翌年3月の墨俣(すのまた)合戦に出陣しましたから、令旨を届けた後は、頼朝のもとに身を寄せていたようです。しかし、合戦に負けて、敗走を繰り返しました。何度も戦ったというべきでしょうか。

その後、頼朝と(たもと)を分かち、義仲のもとへ。『平家物語』には、そのために頼朝と義仲が不仲となり、義仲は人質として嫡男を差し向けたとあります。

そして、行家は義仲と共に北陸道を戦います。敗色濃くなり、義仲に助けられたこともあります。寿永2(1183)年、平家が都を落ち、2人で都に入りました。

その後、義仲は平家追討のために西国に出陣します。行家も義仲と交替するようにして西国に向かいます。そして、またもや敗れます。翌年の義仲の敗死後、行家は再び姿をくらまします。

元暦2(1185)年、壇ノ浦合戦の後、いつのまにか義経と行動を共にし、頼朝に反旗を翻して戦おうとします。が、すぐに追われる身に……。

『平家物語』は、行家にも活躍の場を与えています。西国で平家軍の策にはまり、中にとりこめられて万事休すとなったときには、覚悟を決めて獅子奮迅の戦いをします。500騎が20騎になり、全員負傷をした中で、一人無傷で逃げ延びます。

行家は力も強く、肝も据わり、戦場では豪胆な働きをします。それにひきかえ、義経は小柄で、実戦は苦手だったかもしれませんが、戦略においては、経験のない分、独自の戦法で勝利を得ました。

行家も、大軍を率いての指揮は、義経同様に経験が乏しかったものの、義経のような才能はなかったようです。大敗を重ねました。

しかも、自己主張が強く、居心地が悪くなると、変わり身早く、さっさとくら替えをしていきました。結果から振り返れば、節操の無い男と(らく)(いん)が押されることになりますが、周囲にもいませんか? このようにして世を渡っていく人物が。

行家の最後の戦いでは、刺客と組んずほぐれつ戦います。が、敵は2人がかりです。生け捕られます。それなのに、行家のほうが余裕たっぷりで、相手の慌てぶりを笑い飛ばし、威圧します。刺客の太刀(たち)には刃こぼれが42か所もありましたが、行家の太刀は1つもなかった、と、『平家物語』は書き留めています。

行家へのまなざしは、必ずしも冷たいものではありません。負けてもひるむことなく新たに目標をとらえ、戦い続けて人生を燃焼させた男へのはなむけでしょうか。

すべての人が高い評価を得る人生を歩めるわけではありません。失敗を重ね、人に迷惑をかけつつも、泥臭くあがき続ける人生、これも1つの生の軌跡ですよね。
杉本哲太さん!

 

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。