平家滅亡の時が刻一刻と近づいています。平家一門の興亡を描く『平家物語』には合戦がいくつも描かれていますが、やはり中心は一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦でしょう。

義経が上洛して義仲を追討したのは、寿永3(1184)年1月でした。それから2週間後には一ノ谷へ。平家は思いもかけない奇襲によって壊滅的な被害を受けました。多くの兵を失い、何人もの(きん)(だち)が討ち死に、また生け捕りにもされました。

残るは、総帥宗盛をはじめとする中枢部の人々です。身ぐるみはがされたかのような状態です。しかし、先帝(せんてい)(安徳)、三種の神器、(こく)(建礼門院)だけは死守しなくてはなりません。

屋島の仮御所に戻った一門を追って、義経は攻撃に出ました、と言いたいところですが、義経が屋島に渡ったのは翌年2月。1年間もの空白があります。この間、畿内の治安維持に腐心し、また、伊賀・伊勢地方の平氏の家人が蜂起し、その鎮圧にもてこずっていたようです。

山陽道や九州では、義経の兄の範頼が平家を攻撃していましたが、苦戦していました。そして、ようやく義経に命令が下りました。義経は勇躍、嵐をものともせずに、屋島に向かいました。

『平家物語』では、屋島の合戦が華々しく描かれています。那須()(いち)が扇の的を射る話は有名です。体格の貧弱な義経が海に入って戦ううちに弓を落としてしまい、必死に拾い上げた話もあります。弱い弓を敵に拾われたら笑われると、自慢げに説明しています。

ほかにも、平泉から従って来た腹心の家来、佐藤(つぐ)(のぶ)の死に涙し、伊勢義盛と主従2人で徹夜の警護をしたなど、義経の超人的な活躍や従者との絆が語られます。もちろん、平家方の(のり)(つね)(清盛の甥)や侍大将の(かげ)(きよ)の活躍もありますが、全体的には源氏の話が目立ちます。

生死をかけた凄惨(せいさん)な戦いよりも、むしろ、アクロバチックと言ってもよさそうな、卓越した身体能力や武芸を披露する話が目を引きます。義経の能力と魅力も引き出そうとしているようです。

実際は、屋島で再び奇襲を受けた平家はひとたまりもなく海に逃れて、これといった戦いにもならなかったようです。そこで、『平家物語』は屋島合戦を大々的に描き出すために、芸能的側面をうかがわせる話も織りまぜていったのではないかと考えられています。

平家が最後と見定めた地が壇ノ浦です。ここでも、(とお)()の応酬とか、身軽な義経が船を躍り越えた話とか、屋島と同様の、技を見せる話も盛り込まれていますが、平家の人々の最期が次々と描かれ、滅亡の時が来たことを実感させます。

中でも、清盛の妻・時子の言動──孫の安徳天皇を抱き、宝剣と(しん)()を携えて入水──には圧倒されます。平家の意地と誇り、正統性の主張を体いっぱいに表して沈む姿は、一切の妥協も弁明も拒絶しています。

『吾妻鏡』だけは、時子ではなく、女房が安徳天皇を抱えて入水したと記しています。しかしここは、個人的な期待もありますが、時子でなくてはなりません。

生き残った人々の苦難の日々が始まります。

 

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。