寿永2(1183)年7月、源義仲との戦いを避けて、平家一門は都を落ちました。後白河法皇にも摂政にも背かれ、安徳天皇だけを(いただ)いて福原へ。そして瀬戸内海へと、慌ただしい旅立ちでした。

天皇のいる地が都となります。天皇が京を去れば、京は都ではなくなるはずです。しかし、400年間、天皇は京に御所を構え、人々は京=都と考えるようになりました。天皇と京は不可分です。

貴族たちは頭を抱えました。安徳天皇が戻るのを待とう。いや、天皇不在はいけない。新しい天皇を立てよう。いやいや、天皇を天皇たらしめる三種の神器を平家一門が持ち去っているから、新帝を立てても正式な天皇とは認められない。

平家から神器を奪還しなくては……。結局、神器がないまま新しい天皇を立てることになりました。前例のない珍事です。それでは誰が新帝になるのでしょう。

新帝が即位すると、次の天皇となる春宮(とうぐう)(皇太子)を決めます。順当にいけば、帝の皇子ですね。が、治承4(1180)年に即位した安徳天皇は、わずか3歳でした。

成長するまでには時間があります。急ぐこともないと考えたのでしょうか、皇太子を選ぶにはいたりませんでした。

安徳天皇の異母弟の二宮は、平家が連れていってしまいました。やはり異母弟の三宮と四宮しのみやが都に残されています。新帝候補はこの2人から、となりました。

ここに割り込んだのが義仲でした。義仲が推挙した3人目の候補は、以仁王(もちひとおう)の遺児でした。

以仁王は、平家打倒ののろしをあげたものの、すぐに露見し、逃走途中に流れ矢に当たって絶命した、後白河法皇の皇子です。以仁王が源氏に送った(りょう)()よりともたちの挙兵のきっかけとなって社会が動き出したことは、記憶に新しいですよね。

以仁王には子どもが何人もいました。以仁王の死後、男児は出家したのですが、そのうちの一人は乳母夫めのとが北陸に連れて逃げ延びました。

この宮(北陸宮)を、北陸で義仲が大切に保護していたのです。義仲は、平家討伐のきっかけを作った親孝行の以仁王の血を引く宮こそが、次の天皇としてふさわしいと主張しました。

天皇となる方は、その父も天皇である(あった)ことが前提です。したがって、北陸宮は天皇候補としては不適格です。

当然、後白河法皇たちは、義仲の提案を却下します。ただ、げんに拒絶したのでは角が立ちます。占いで決めることとしました。その結果、四宮が選ばれたのでした。

皇室の最重要案件に、義仲ごとき一介の武士が割り込んだのですから、法皇や朝廷の人々がいかに戸惑ったか、想像に難くありません。

義仲に期待されたのは、まずは京の治安維持です。しかし逆に、治安は悪化の一途をたどり、義仲は評判を落としました。さらに、田舎者(いなかもの)で不作法、無教養の義仲です。そんな義仲が、口出しするなどもってのほかの領域にまで入り込んできたことは、法皇たちにとって不愉快極まりない暴挙だったでしょう。

天皇後継の決定に武士、すなわち幕府が関与するようになるには、まだ40年ほどの歳月が必要です。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。