ともえぜんって、本当にいたのですか? 巴御前は義仲の妻ではないのですか? 
あの時代に女性が戦場に出ることはあったのですか?

義仲の話をすると、巴についてもさまざまな質問が寄せられます。義仲と共に育ち、常にそばに控える美しき女武者――人々の興味を誘う役柄です。それなのに、何もわかりません。

巴は『平家物語』にだけ登場します。歴史資料で確認できないからといって、虚構だとは言えませんが、実在したとも言えません。たとえ『平家物語』が作り上げた人物であったとしても、当時の読者に「こんな人物設定はありえない!」と思われてしまったらアウトです。

力の強い女性は『今昔物語集』にも登場します。男が人に追われて逃げ込んだ先で、人質にした美女は抵抗もせず、ただ片手の指先で、固い()(だけ)を砕いていました。男はそれを見て、女に腕を砕かれると恐れ、逃げ出したとか。

ほかにも2人の怪力の女が戦ったとか、500人が引いても動かない船を難なく引き上げた女性もいます。

また、『吾妻鏡』には、越後の(じょう)氏が反乱を起こしたときに、城氏軍で百発百中の射芸を持つ坂額はんがく(額)(という美女が武装して戦ったことが記されています。

だから、男勝りの力と武芸を持った巴が戦うことは、ありえない話ではありません。ただし、なぜ、義仲を囲む武者の1人に加わっていたのかはわかりません。

巴は義仲に仕えていたと言っても、妻ではありません。『平家物語』では「便女(びんじょ)」(身の回りの世話をする女)と書かれているだけです。

このそっけない書き方がまた、さまざまな想像をふくらませます。義仲の乳母夫(めのと)・中原(かね)(とお)の娘とされることもあります。

では、巴の最期はどうなるのでしょう。『平家物語』にはさまざまな種類があるのですが、それらに巴の“その後”が、次のように描かれます。

一、奮戦後、義仲から、女だから逃げろと言われ、しぶしぶ従う。最後に武蔵の武士の首を切り捨てて東国へ去った。

一、奮戦し、義仲に誉められた後、いつのまにか姿を消した。

一、奮戦後、女だから逃げよ、故郷の妻子に最期を語るように、と義仲から言われ、しぶしぶ従う。戦乱終結後、鎌倉に召喚される。和田義盛が巴の強力ごうりきを見込んで妻とし、剛勇ごうゆうの武士・朝比奈三郎義秀を生んだ。後に越中国で出家して人々のだいを祈り、91歳まで生きた。

一、おう坂関さかのせきから姿を消し、越後国で尼になった。

巴の“その後”が、多くの関心を呼んでいたことがわかりますが、力持ちの女性は尊敬され、称賛されたようです。巴も坂額も、強い子どもを生むことを期待された一面があります。

また、女性は亡くなった人々の菩提を祈る役割があると考えられています。特に巴は、義仲の最後の戦いの直接体験者です。

巴の言葉には真実味があり、重みがあります。義仲の菩提を祈り、義仲の人生を語り続けるためにも、巴は生き続けなくてはなりませんでした。

「鎌倉殿の13人」の巴(眉のりりしい姿で演じる秋元才加さやかさん!)には、どのような“その後”が待っているのでしょう。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。