実在の法律家・三淵嘉子をモデルに、主人公・寅子(伊藤沙莉)の半生を描いた「虎に翼」が、本日ついに最終回を迎えました。
8月末、全26週分の脚本を書きあげた吉田恵里香さんに、多数の社会的なテーマを盛り込んだ理由や、最終回の印象的なシーンに込めた思い、今後の展望などを語ってもらったインタビューの後編です(前編はこちら)。
エンターテインメントでもやれることがある
──特にドラマ後半では、選択的夫婦別姓やLGBTQの問題など、朝ドラで描くにはハードルが高いのではないかと思われるテーマが数多く盛り込まれていました。その意図は何だったんでしょうか?
この国は、憲法十四条に書かれていることに則れば、みな平等な社会であるはずです。でもまだ、それが実現されているとはいえない部分があります。昔に比べれば、ずいぶんよくなったとはいえ……そこへの問題意識はありますね。
例えば、選択的夫婦別姓やLGBTQについて言えば、調べれば調べるほど、この令和になって始まった問題ではないということがわかってきました。寅子が生きていた時代はもちろん、当事者たちはどの時代にもいたんだと。だから、それをちゃんと描くことに意味があると思いました。“盛り込む”というより“省かない”という形ですね。
でも、それで何かやってやろう、という気持ちはないです。「虎に翼」は法律ものですし、寅子が法律家として生きていけば、普通に通る道、出会う人たちだと思っていたので、あまり挑戦という意図はありませんでした。
──とはいえ、視聴者からの反響は大きかったと思います。いろいろな意見がSNSなどで飛び交いましたが、視聴者の声をどう受け止めていましたか?
実は、SNSはあまり見ないんです。自分が発信するだけで……。でも、いろいろな意見、いろんな感情があっていいと思っています。もちろん朝ドラでこういう話題を扱うこと自体が嫌、という人もいると思うんですけど、人の好みに私が口出しはできないし、作品の好き嫌いは、それぞれその人が決めればいいことですから。
ただ、さっきも言ったように、“そういう問題があった/ある”ことや、“そういう人たちがいた/いる”こと自体を否定するのは、違うと思っています。そういう意味では、この作品で問題提起ができたり、見る方にとって何かにつながったりしたのならば、やる意味があったのかなと。
この世の中には、こういう問題があって、こういうふうに苦しんでいる人たちがいるんだよ、という問題提起は、本当は政府や政治がやることです。でも、当事者が矢面に立って傷ついてほしくはありませんし、だったらエンターテインメントでもやれることがあるんじゃないかと思うんです。だから今後も、あるものを“ない”ことにはしないよう、伝えていけたらいいですね。
寅子が生きてきた“地獄”を、あらゆる角度から書いてきた
――最終週についても聞かせてください。作品の中に何度も出てきた「法とは何か?」という問いかけ。最終週での寅子の答えは、「法とは船のようなものなのかなと思っています。人が人らしくあるための尊厳や権利を運ぶ船。社会という激流に飲み込まれないための船」でした。このセリフを聞いて、ドラマの第1回冒頭に出てきた“川を流れていく笹船”の映像を思い出して、ハッとしました。この構想は、最初からあったんですか?
第1回の笹船は、私が台本に書いたのではなく、チーフ演出の梛川善郎さんが作られたシーンなんです。あの映像を見た時、これから寅子の人生を描いていくよ、ということを表しているようで、とても印象的で。いつかどこかに使えないかと、ずっと考えていました。
一方、最終週で寅子が導き出す「法とは何か?」の答えに合うものがなかなか思い浮かばなくて。私自身は「法とはきれいな水である」という答えが、いちばんしっくりくるものだったんですが、脚本を書き進めるうち、法改正の問題や尊属殺の重罰規定など、「きれいな水」だけでは補えないものもあるとわかってきて、何か別の答えが出したかったんです。
そんな時に「そうだ」と思い出したのが、あの笹船でした。操ることが難しかったり、時には乗り換えたりすることもある、そういうところがぴったりだなと思って。映像や演出に助けられて浮かんだ発想でした。
──最後の最後、ドラマの主題歌「さよーならまたいつか」の歌と寅子がシンクロするシーンにも、驚きつつ感動しました。こちらは、どんなふうに生まれたのでしょうか?
私、米津(玄師)さんが書いてくださったこの曲の2番の歌詞が大好きなんです。なので、ぜひ本編で2番を流したいという思いは持っていました。とはいえ、さすがに自分から、この曲を寅子に口ずさませましょうとは言い出せませんでした。主題歌とはいえ、寅子の歌ではないし、私が書いた歌詞でもないですから。なので、最後のシーンは、初稿の段階では全然違うものでした。
そうしたら、梛川さんから「『さよーならまたいつか!』って、トラコに言わせたいですね」とご提案いただいて。さらに「せっかく大法廷のセットもあるから、そこで終わらせる演出にチャレンジしたいと思っている」とも教えてもらいました。それで、「それならぜひ!」と、ああいうシーンを書いたんです。
米津さんは、いろいろな映像作品に曲を書かれていますが、どれも作品に寄り添うものばかり。「さよーならまたいつか!」を最初に聴いたときも、すごく感動したんです。寅子の人生を変に美化することもなく、“等身大”の目線で受け取って歌詞を書いてくださっているのが伝わってきて、素晴らしいと思いました。
特に最後の「生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ さよーならまたいつか!」は、まさしく寅子にふさわしいフレーズだと思っていたので、最後のシーンで使わせていただくことができて、本当にうれしかったです。
──ちょうどその2番の歌詞にも出てくるのが、“地獄”という強烈な言葉です。ドラマの初期から象徴的に使われていましたが、最終回でも、はる(石田ゆり子)とともに、再びキーワードとして登場しました。地獄という言葉に込めた思いは?
生きづらさを感じることなく、自分がなりたいように、誰からも足取りを邪魔されずに生きていくことが、私にとっては理想です。でも、特に女性がその生き方をするのはとても難しい。それってかなり地獄だなあと思っているんです。
「そんなことが地獄なのか」と言う人もいるかもしれません。でも、人が何を地獄と感じるか、他人が決めることはできない、と私は思います。それに、シンプルに言ってしまえば、生きていくこと自体、しんどいんですよ(苦笑)。
ただ、そこが自分が選んだ地獄なのか、誰かに落とされた地獄なのかで、だいぶ違う。なので、そこは思いを込めて書きました。「どの地獄を選ぶかも、自分で決める」。それが大事だと信じているので。
「虎に翼」では、そんなふうに、寅子が生きてきた“地獄”を、あらゆる角度から書いたつもりです。つまり、トラコの地獄めぐりというわけですね(笑)。ただ、もう少し視野を広げて言うと、自分が身を置く社会や環境に問題があるなら、それを変えようとするのは当然の行動のはずですよね。
でも、闘う人、矢面に立つ人は、どうしたって傷つくし、誤解もされやすい。ただ、どんな地獄にも、オアシスのような理解者はいるものです。だから、地獄をどうやって歩いていくかも、大事なのかなと思っています。
──では最後に、以前、「朝ドラの脚本を書くのが夢だった」とおっしゃっていましたが、次の夢は何ですか? また、これからも、ほかの人があまり扱ってこなかったようなテーマで、ドラマを書いていきたいとお考えですか。
次の夢は──また朝ドラをやることですかね! 次の朝ドラのオファーが、なるべく早く来たらいいなと。また、(制作統括の)尾崎裕和さんがオファーしてくれることを願っています。
テーマについては、そうですね、それが自分の作家性だと思っているので。まあ、ここまで法律ド直球のものが、再び自分に回ってくるとは思えないんですけど(笑)、取り上げ方や扱い方はそのつど考えるとしても、やりたいことには正直に臨んでいきたいです。
今回でやり切った、とは全然思えないんです。今回描いたほとんどすべての問題は、まだまだ解決していないものばかりですから。だからこれからも自分の中に持つべきテーマとして、地続きになっていくのではないでしょうか。
ただ、今回の場合は、なるべく多くの問題を取り上げるという方針でしたが、それが私の作風なわけでもありません。もっと一つのテーマを深く掘り下げて書くという方法も面白いかなと思っています。どちらにしても、自分が本当にやりたいものからは逃げません。それだけは間違いないです。
よしだ・えりか
1987年生まれ、神奈川県出身。脚本家・小説家として活躍。主な執筆作品は、ドラマ「DASADA」「声春っ!」(日本テレビ系)、「花のち晴れ~花男 Next Season」「Heaven?~ご苦楽レストラン」「君の花になる」(TBS系)、映画『ヒロイン失格』『センセイ君主』など。NHKでは、「恋せぬふたり」で第40回向田邦子賞を受賞。
ステラnetでは、コラム『脚本家・吉田恵里香の「グッときた日記」』を連載中。