桐野夏生原作のドラマ「燕は戻ってこない」は、ついに終盤。生殖医療、代理母というテーマにした物語に、SNSでも議論が巻き起こっている。

「人は善悪を簡単に決めつけていいのか」という普遍的なテーマをエンターテインメントという形で送り出した板垣麻衣子プロデューサーに、反響やキャスティングの狙いなどを聞いた。

【これまでのあらすじ】
派遣社員のリキ(大石理紀/石橋静河)は、契約打ち切りが決まり、将来に不安を覚える。そんな中、生殖医療エージェント「プランテ」に何気なく登録したことがきっかけで、くさおけもとい(稲垣吾郎)・悠子(内田有紀)夫妻の依頼で、高額の報酬と引き換え代理母になることに。3度目の人工授精後に、リキの妊娠がわかり、基は大喜びする。だが、リキは「実は父親が誰かわからない」と悠子に打ち明け――。

SNSがザワついていてよかった

――SNSでもかなり話題になっていますね。オンエアを見ながらX(旧Twitter)を追っていくと、いろんな意見で盛り上がっているという印象です。板垣さんもSNSをチェックされていますか?

はい、見ています。このドラマは好き嫌いが分かれるかもしれないと思っていましたし、実際、賛否両論意見はさまざまです。「リキの行動はおかしい!」という人もいれば、「リキ頑張れ!」と言う人もいます。「基はモラハラだ!」という意見もあれば、「気持ちはわかる」という意見も。

このドラマは生殖医療、代理母がテーマであり、答えがない問題なので、議論が活性化することが望ましいと思っていました。「みんなザワついてるな。よかった」というのがSNSを見た感想です。

――改めて、このテーマをドラマ化した狙いを教えてください。

2022年2月に単行本がでてすぐに小説を読み、「ドラマ化したい」と思いました。もちろん原作が素晴らしかったこともありますが、この頃、生殖医療の保険適用範囲が広がったり、東京都の卵子凍結助成金に応募が殺到したりと、生殖医療に社会的関心が集まっていた時期だったという背景があります。

もうひとつは、この数年、簡単に何かを批判する風潮があると感じていたこと。「そんなに簡単に“善悪”を決めていいのか?」と怖くなることも多く、生殖医療という「簡単に決められない大きな問題」に人間は向き合っていくべきなのではないか、と思ったんです。

このドラマは、私たちにそれを考えさせてくれると思い、企画書を出しました。

――プロデューサーとしていちばんこだわったところは?

「人間を深く描きたい」、このひと言に尽きます。今回の作品はとくに、エンターテインメントとしてポップさやドライブ感を重視して、没入感があって心がザワつく感じのドラマにしたかったというのがあります。

NHKが制作する社会派のドラマは「堅苦しいのかな?」と思われがちですが、原作の単行本の帯に書いてある「ノンストップ・ディストピア小説」というキャッチの空気感を忘れないように制作しました。

――没入感、ディストピアといえば、生殖医療エージェント「プランテ」と、その担当者の青沼(朴璐美)が、不気味さを増している気がします。

原作でもプランテの壁はピンクという描写があるのですが、ドラマでは異世界感をわかりやすく表現するために、若干SF空間のような内装にこだわりました。「ここに足を踏み入れたら、一線を超える。自分が経験したことがない世界に入る」という演出です。

日本では第三者を介した代理出産は認められていません。でもそこに救いを求めている人もいるかもしれないし、その人たちにとっては、プランテのようなエージェントが福音をもたらす存在になるのかもしれない。

一方で、人の弱みにつけこんだ生殖医療ビジネスを行うかもしれない。その計り知れない怪しさを、デフォルメして強調しています。


リキのコートは赤にする必要があった

――リキ役の石橋静河さん、基役の稲垣吾郎さんなど「キャスティングがぴったり!」という声も多いようですが、それぞれ起用の決め手は何だったのでしょうか。

今回、「この俳優さんに演じてほしい」と思っていた皆様が受けてくださったので、本当にありがたかったです。まず石橋静河さんですが、リキはお金がなくて夢も自信もない。だけど「やられっぱなし」でもない。腹の底にはしっかりと芯があることを感じさせてくれる俳優さんがいいと思いました。

「鎌倉殿の13人」で静御前を演じた石橋さんは、悲劇のヒロインだけどカッコよかったし、NHK福岡放送局制作の「You May Dream」ではシーナ&ロケッツの鮎川悦子を演じられていて、ロックな魂を感じました。

稲垣吾郎さんが演じる基は、ともすると女性視聴者に嫌われる可能性があります。「なんか嫌だけど、すぐには嫌いになれない感じ」をうまく表現できる人は誰か考えたときに、真っ先に浮かんだのが稲垣さんでした。

ご本人も、「この役が僕にくるの、わかります」とおっしゃってくださって。チャーミングさと、トップに上りつめてすべてのものを手に入れた人の持つ空気は、普通の人にはなかなか出せません。稲垣さんだからこその説得力だと思います。

内田有紀さん演じる悠子は、繊細さとタフさ、モラルとエゴなど、このドラマの中で最も揺れ動く役。非常に難しい役なので、お芝居の力がある方にぜひともお願いしたかった。

世界的トップダンサーを夫に持ち、裕福で自身もイラストレーターとして仕事をしている――。すべてを手に入れているように見えるけれど、実は「不全感」があってもがいている感じを、丁寧に、見事に表現していただきました。

基の母、千味子役の黒木瞳さんは、オファーを受けていただいた際に「このテーマをドラマ化しようと思ったあなたの覚悟と度胸にかけます」と言ってくださり、それは本当に嬉しかったですね。

千味子は財産があり、美しく、才能もある。それを次世代に残したいというのは理解できます。第7話では千味子がいよいよリキと対面しましたが、お芝居のすさまじさにしびれました。黒木さんの存在でドラマがしまり、重厚感が増した印象です。

実は、SNSの反応で意外だったのが、「千味子の言ってることは理解できる」という賛成意見が多かったこと。嫌われ役になってしまうかと思いきや「1周回って、千味子がいちばんまとも」という意見もありました。それも、黒木さんのお芝居に説得力があったからだと思います。

――桐野夏生さんとは、ドラマ化に際してどんなお話をされましたか?

小説の世界を映像にするには、細かい設定を描く必要があります。たとえばリキが住む部屋にはどんなものが置いてあるのか悩んだことがありました。

桐野先生にご相談した際に「本は読む子なんじゃないかな。だから本があってもいいと思うし、アクセサリーがお皿に入れてあるかもしれないよね。現実に打ちのめされる前にはきっと夢もあったし、希望もあったと思う」というようなお話をしていただきました。

そこで、部屋には本をいくつか置いて、旅行にも行きたかっただろうから海外っぽいものを置いて……。リキは第1話で赤いコートを着ていましたが、そこにも意味があります。無難な黒ではなく赤を選んでみるという、ちょっとしたリキの気持ちを、監督や美術さん、スタイリストさんと相談して作り上げていきました。

――脚本は「らんまん」でご一緒された長田育恵さんですが、オファーされた理由は?

長田さんは人間への理解が深く、人を描くのが本当に上手なんです。ドラマ化が決まったときに、すぐにお願いしました。人間のいいところだけでなく、ダメな部分も容赦なく描いてくださる脚本家で、その人なりの信念があってそうなっていることを、説得力をもって書いてくれます。すごい才能だと思いますね。

今回の作品も人間の深い部分がテーマになっているので、桐野夏生さんの想いをドラマという形に落とし込むにあたっては、ぜひ長田さんにお願いしたかった。そして女性の脚本家にお願いしたかったというのもあります。どうしても女性でなければわからない苦しみが描かれている小説だったので。

――毎回、エンディングで流れる音楽でも、ドラマの世界観にさらに引き込まれます。Evan Call氏に作曲を依頼したのはどのような狙いがあったのですか?

私がEvan Callさんを知ったのは「鎌倉殿の13人」だったのですが、初めて聴いたとき衝撃が走りました。1つの曲の中に、いくつもの感情が内包されているというか。痛ましいのに切なかったり、おもしろいのに悲しかったり、それは人間への深い理解がないと作れない曲なのではないかと。

こんな曲を書ける人がいるんだ! と当時、感動したんです。いつかご一緒したいと思っていたところ、今回のテーマにまさにぴったりで、繊細な人間の心が表現された素晴らしい曲を作っていただきました。

――板垣さんは桐野さんの作品が好きな理由のひとつとして、「私の代わりに言ってくれていると思えること」とおっしゃっていましたが、今回の作品ではどんなところでしょうか。

それは最終回のラストシーンにすべて込めました。見ていただければ「これか!」とわかると思います。今回のドラマは、誰が善で誰が悪、という描き方はしていません。それでも最後は、リキに物語を帰結させたかった。ぜひ、最後の瞬間まで見ていただければと思います。