ぜん​成じょう​円えん・義経三兄弟の母・常盤ときわ(常葉)は、中世の文学・芸能の世界ではとても有名な女性です。平治の乱のてんまつを描く『平治物語』に詳しく描かれていますが、物語の創作ではなく、常盤の物語がすでに流通していて、それを原型にしたものと思われます。

常盤は九条院(故近衛天皇のきさき)に仕える美貌の女官で、義朝のあいしょうとなります。義朝は平治元(1159)年12月に起きた平治の乱に敗れ、殺されます。報告を受けた常盤は、子どもの生命の危機を感じ、ひそかに屋敷を抜け出します。

幼子を連れての逃避行。けなに常盤によりそう8歳と6歳の今若・乙若、母の胸元で何も知らずに眠る乳飲み子の牛若。1月の冷たい雪道を歩む親子の姿は痛ましく哀れです。しかも、ようやく落ち着いた先で、屋敷に置いてきた母が捕らわれたことを知り、悩んだ末に清盛のもとに出頭し、母の助命を乞います。

そして、せめて子どもの処刑の前に自分を殺してくれと泣き叫びます。結局、よりともよりも若い子どもを殺す理由はないと、皆助かります。後に清盛が通い、娘が生まれ、清盛に捨てられ、おおくらきょう一条ながなりの妻となったと書かれて、常盤の話は終わります。

幸せな結婚生活から暗転した人生。子どもの命を救うために逃げ、母を思ってはんもんし、意に沿わない2人の男を受け入れる常盤。人々、特に女性は、常盤の悲劇を別世界の出来事と思いつつも、常盤の苦悩に自分の思いを重ねて涙しました。常盤の物語は少しずつ形を変えながら、繰り返し作品化されてきました。

少し視点を変えてみましょう。例えば、長成との結婚です。長成との間には、長男のよしなりが長寛元(1163)年に誕生しました。常盤が出頭したのが平治2(1160)年。義朝にとって常盤は側室。清盛はほんのひととき。

それに引き換え、長成は常盤を正式に迎え、能成は長成の後継者となりました。貴族の一員である長成との生活は安定し、子宝にも恵まれ、常盤は穏やかな年月を送ったことでしょう。

今若たち3人の子どもを手もとに置くことはかないませんでしたが、彼らの命は約束されていました。子どもたちとの関係も途絶えたわけではなく、長成も彼らを援助したようです。

頼朝の挙兵に3人が従っていると知ったときは、再び暗黒の日々に引き戻されたと想像されますが、結果オーライ。義円は討ち死にしましたが、義経の大活躍は誇らしかったでしょう。

ところが、平家滅亡後、すぐに義経は頼朝に追われる身に。あろうことか、能成は義経についていこうとしたようです。常盤と娘は捕らわれ尋問を受けたとの記録が残ります。能成は一旦、官職を解かれましたが、やがて復帰し、一条家を保つことができました。

当たり前のことではありますが、文学や芸能の世界で語られる物語は、人生の一面を切り取り、涙を誘うべくデフォルメされたものです。現実の人生では、幸福も不幸も永続せず、幾度も繰り返されます。平凡な人生を送る私たちも同様に。

新しい常盤の物語が紡げそうですね。

(NHKウイークリーステラ 2022年3月18日号より)

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。