後白河法皇の皇子もちひとおうが出したりょうが頼朝を挙兵させた、という筋書きが『吾妻鏡』でも『平家物語』でも使われていることは、以前紹介しました。

ところが、後白河法皇の「院宣いんぜん」なるものも登場します。院宣とは何? 令旨と何が違うの? 戸惑う方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回はこの2つのもんじょについて、少し難しいお話をしましょう。

役所などで出す命令書を「せん」と言います。朝廷、ひいては天皇の意志を伝えるために用いられました。公的な通達です。

ところが、平安時代末期は、天皇はまだ幼く、天皇の父や祖父にあたる、先代や先々代の天皇(上皇。院。出家すると法皇)が補佐をするようになっていました。

実質的には上皇(院)が政治を動かしていきます。院政ですね。上皇(院)の仰せを文書にしたものが院宣です。正式なものではありません。

でも、時の統治者の出す文書です。その権威には皆ひれ伏します。そして次第に、院宣そのものも力を持つようになっていきます。

では、令旨とは? 令旨は、皇太子や女院、親王などが出す私的な文書です。貴族などが出す文書とは格が違うでしょうが、それでも院宣には及びません。令旨よりも院宣のほうが、格段に重みがあります。

院宣は、半ば公的なものです。そこに、時の絶対的権力者である平清盛を「追討せよ」などと、堂々と書けるでしょうか。口頭の秘密の命令ぐらいならすり抜けられるかもしれませんが、軽率だし、物騒極まりないですよね。露見したときの責任は誰がとるのでしょう。

ところが、『平家物語』では、以仁王の令旨が出されたあとで、清盛打倒を命ずる院宣が頼朝のもとに届けられます。これは、法皇自身の発案ではなく、頼朝が要求したものでもありません。間をとりもつ人物がいました。

それが、もんがくというあらひじりです。「やいばのげんじゃ」と言われる修行者ですが、なんとも怪しい僧です。

伊豆に流されていた頼朝に挙兵を勧めますが(実際には時期的に合わない!)、煮え切らない頼朝を本気にさせるために、法皇の御所と1週間で往復して(不可能!)、院宣をいただいてきました。

それにしても、実に破天荒な展開です。興味を抱かれた方は、『平家物語』を読んでみてください。文覚については、改めて紹介する機会もあるかと思います。

『平家物語』は、令旨よりももっと重みのあるもので、頼朝の挙兵を正当化したかったのでしょう。頼朝の挙兵は、初めは国家への反逆─ほん─でした。

やがて、反逆が反転して、正々堂々と平家を追討することになります。ならば最初から、令旨よりももっと権威のある院宣を使って、頼朝にお墨付きを与えようとひらめいたのでしょう。

こうして、『平家物語』は、頼朝が東国であげた小さな反乱を、国家的な大転換をもたらす事件として正当化しました。

大河ドラマの後白河法皇は西田敏行さんです。なかなかしたたかそうですね。どのような腹芸で、頼朝とタッグを組んで、平家を滅亡させるのでしょう。

(NHKウイークリーステラ 2022年2月25日号より)

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。