「鎌倉殿の13人」の脚本家・三谷幸喜は「ドラマの原作は『吾妻鏡』のつもり」とインタビューで語っているが、じつは『吾妻鏡』に八重の記述は見られない。

ただ、安元元(1175)年、伊東祐親すけちか頼朝よりとも殺害を図り、祐親の息子がそれを頼朝に告げたため、難を逃れたというエピソードがある。挙兵以前から、頼朝と祐親はただならぬ関係にあったことがうかがえる。

一方、『曽我物語』巻二には、八重にあたる姫が登場する。

伊東次郎助親(祐親)には娘四人候ひけり。......
中にも三のひめ(八重)は美女の聞えあり。
ひょう​衛​佐すけ​殿どの(頼朝)忍びて
これをおぼされける程に
年月久しく積りて

若君一人きたたまへり。

と、八重が美しい姫で頼朝との間に男児をもうけたと書かれている。若君は
せんつるぜん」と名付けられ、頼朝も大いに喜ぶ。

しかし祐親は、このことが平清盛の耳に入ることを恐れ、3歳の若君を川底に沈めて殺し、さらに頼朝の夜討ちを企てる。密告のおかげで頼朝が難を逃れるのは『吾妻鏡』同様。八重は祐親の命で江馬(江間)次郎に嫁がされたとするが、その後は定かではなく、諸説ある。

また、『曽我物語』には、頼朝と北条時政の娘・万寿御前(政子)の恋物語も出てくる。時政は政子を目代・山木兼隆に嫁がせようとしたが、頼朝と契りを結んでいた政子は山木館を脱出。

伊豆山権現に逃げ込んだことで、時政は頼朝との婚姻を許したとされている。そして、祐親が頼朝と娘の婚姻を認めていれば、伊東家は滅びずに栄えたろうに、とも記している。

静岡県伊豆の国市の眞珠院(しんじゅいん)には、八重姫の供養堂がある。八重には頼朝との悲恋の末、淵(ふち)に身を投げたという伝承が。ハシゴの供物は姫を淵から救いたいという民の願いから。 写真提供:眞珠院

主な参考文献:坂井孝一『曽我物語の史実と虚構』(吉川弘文館)、五味文彦・本郷和人編『現代語訳 吾妻鏡1』(吉川弘文館)、『真名本 曾我物語1』(平凡社 東洋文庫)。

(NHKウイークリーステラ 2022年2月18日号より)