#6 石橋山の合戦の陰での画像
三浦義明の息子・義澄(右:佐藤B作)と、その孫・義村(山本耕史)。2人の行く末にもご注目!

山木兼隆を討ち果たして勝利に酔う間もなく石橋山に入り、苦戦の末、に逃げる行程は、よりとも軍にとって重苦しい展開です。頼朝の運命やいかに……。

でも、私たちはこの先の頼朝の逆転劇を知っています。ですから、安心してこの負け戦を見ていられます。しかし当時、頼朝に従うことを決めた武士たちは、果たしてどのような心境だったのでしょう。

自分の選択が正しかったのか、心から不安になりながら、おおかげちか軍に向かい、そして敗走したことでしょう。その人間描写、心理の揺れ動きを描く三谷幸喜さんのドラマ作りを楽しみながら応援する私たちです。

『吾妻鏡』やある種の『平家物語』には、この戦いの一部始終が記されています。その中から、三浦一族の動向を、まず『吾妻鏡』から見てみましょう。

三浦一族の長は義明です。頼朝が挙兵を決意したことを心から喜びます。すぐに合流するつもりでしたが、大雨のために石橋山の戦いに間に合わず、本拠地の三浦半島の衣笠城に籠もりました。そこで敵の畠山しげただらと戦いますが、旗色悪く、息子のよしずみは父を連れて逃げようとします。義明は拒絶します。

代々源家に仕えてきた一党の自分が源家再興の時に巡り合えた喜びを語り、ここで頼朝のために死ぬと宣言します。そして、自分の死が子孫のためになることを願います。子どもたちは泣く泣く父を残し、安房に向かいます。非情な決断を強いられた父子の、一族の、戦場のひとこまがつづられています。

『平家物語』では、この過程が大変詳細に、生き生きと描かれます。例えば、引き返す途中でのつぼでの戦いと勝利の様。衣笠城では待ち受けていた義明がこまごまと戦いの注意をしたり、病身をおして戦いに出ようとして止められたり。そして、一人残ることを選んだ衣笠城での、義明のせいさんな最期は、いくさのざんさがにじみ出る一節です。

義明は『吾妻鏡』では89歳、『平家物語』では79歳となっています。10歳の差は、かなり異なる印象を与えますね。いかがですか。例えば79歳で、かくしゃくとしていたとしても、戦場に出るのは酷でしょう。

正しい年齢はわかりませんが、いずれであっても、義明が最後の場と覚悟をしていたこと、その気迫が伝わってきます。それだけ、頼朝の挙兵を待ち望んでいた、まっすぐな心意気がうかがえます。

建久3(1192)年、征夷大将軍に任じられた頼朝は、鎌倉の鶴岡八幡宮の前で、任命の名簿を賜ります。それを使者から受け取る役を務めたのが義澄です。頼朝は、自分のために命を落とした義明への恩義を忘れず、このような晴れ舞台に息子の義澄を抜てきすることで、義明に報いたのです。

頼朝は、義明の犠牲の上に今があることを、肝に銘じていました。頼朝の心の深さを映すエピソードとして書き残されています。同時に、三浦氏の重要度をアピールする場面でもあります。

後に、義澄は、北条時政・義時と共に頼朝のブレイン、そして、“13人”の一人になります。佐藤B作さんの活躍、楽しみですね。

(NHKウイークリーステラ 2022年2月18日号より)

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。