#4 Who is 以仁王?の画像
以仁王(木村昴)の挙兵が、打倒平氏ののろしとなったことで……(第3回より)。

鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』は、源頼政が清盛を討とうと決意してもちひとおうに持ちかけるところから始まります。続いて都から源よりとものもとにりょう​旨が届く場面となります。

令旨とは、皇族から出されるもんじょのことです。その内容は、今こそ立ち上がり、平氏を倒せと命ずるげきぶんでした。この令旨を書いた以仁王は、後白河法皇の第3皇子です。なぜこのような檄文を書いたのでしょう。そもそも、以仁王とはどんな人なのでしょう。

以仁王は当時30歳。母は藤原氏の中でも高い家柄の出身で、同母の兄姉妹は4人ほどいます。1歳上の兄、守覚法親王は、幼くしてにんに入り、長じてむろ(門跡)となって、当時の宗教界を支えました。和歌にも優れ、その世界でも重鎮的存在でした。2歳上の姉、式子内親王は有名な歌人ですね。以仁王にも文芸の才が流れていたことでしょう。学問もよくしていたようです。

以仁王も延暦寺のの弟子となりましたが、師が亡くなったこともあり、出家せず、「親王」にもなれないまま、ひそかに元服をしてしまいました。

その3年後、以仁王より10歳も若い高倉帝が即位しました。母は後白河法皇ちょうの平滋子です。以仁王の母よりも家柄は低いのですが、法皇に最も愛されていました。しかも、姉は平時子。今を時めく清盛の妻です。父方からも母方からも大切に慈しまれた皇子が即位したのです。以仁王の出る幕はありません。

ところが、治承3(1179)年11月、清盛はクーデターを起こして法皇を軟禁し、以仁王は師から受け継いだ寺を没収されてしまいました。翌年2月にはみかどの3歳の皇子が即位。皇子の母は清盛と時子の娘徳子。このような事態のもと、5月に以仁王は大きな賭けに出ました。

以仁王から見れば、皇室が清盛にじゅうりんされていると見えたのでしょうか。自らの即位という野望が抑えられなかったのかもしれません。冷静に考えれば、無謀な望みですが。

以仁王自身の性格のわかる史料は残されていません。ただ、計画が発覚して逃げ込んだ三井寺で、どんなことがあっても人手にはかからないと、意気衰えることがなかったという話が残されています。ごうな性格がうかがえます。

しかしながら、『平家物語』では、源頼政が以仁王に謀反を勧めます。以仁王がためらっていると、帝となる人相と占われて、ようやく重い腰をあげたともあり(占いは本当のようです)、いささか頼りない貴公子として描かれています。

高貴な人物が、自らの意志ではなく、天命や周囲の声におされて行動を起こすという【型】が、物語作りには必要なようです。頼朝も、自らの野望ではなく、以仁王の令旨によって挙兵すると描かれます。同様の展開なのがおわかりでしょうか。

『吾妻鏡』が同じ【型】を用いて、幕府草創の歴史を語り始めていることには注目がされますが、実際の経緯はわかりません。社会の大きな変革のきっかけを作ってしまったことに驚いているのは、あの世の以仁王自身ではないでしょうか。

(NHKウイークリーステラ 2022年2月4日号より)

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。