平治元(1159)年、平治の乱で源氏勢力を一掃した平清盛は、院政を敷く後白河法皇や天皇家、有力貴族らと婚姻関係を結ぶことで朝廷での平氏の存在感を高め、仁安2(1167)年、武士として初めてだいじょう大臣に就任。

日宋貿易で巨万の富を築き、全盛期には全国の約半分が平氏一門の知行国になるなど、まさに「わが世の春」をおうしていた。

一方、平氏の台頭に危機感を強めていた後白河法皇は、次第に清盛と対立。清盛は、治承3(1179)年、ついに法皇をらくなんの鳥羽殿に幽閉する。

このクーデターによって院政は停止、清盛は政治の実権を掌握した。しかし、この行為が全国の反平氏勢力の決起を促すことに。

治承4年、後白河法皇の第3皇子・もちひとおうが、源頼政らとともに挙兵。すぐに露見し鎮圧されたものの、これがのろしとなって、反平氏勢力や平氏に与しない寺社勢力が立ち上がる。

甲斐源氏の武田信義、信濃の木曽義仲、そして伊豆では、源頼朝が北条氏らわずかな手勢を率いて挙兵。頼朝勢は、まず伊豆の目代・山木兼隆とその後見役・堤信遠を奇襲するが……。頼朝の挙兵はどうなる?

参考文献:坂井孝一『鎌倉殿と執権北条氏』(NHK出版新書)、『鎌倉殿の13人 北条義時とその時代』(NHK出版)、歴史群像シリーズ13『源平の興亡』(学研)。

(NHKウイークリーステラ 2022年1月28日号より)