来年の今頃には、源頼朝といえば大泉洋さんの顔を思い浮かべることになるでしょう。そうなる前に、頼朝の風貌についておさらいをしておきませんか。
頼朝の姿で思い出すのが、京都の神護寺蔵の大きな画幅に描かれた頼朝像です。落ち着いた、自信に満ちた姿、面長で幾分しもぶくれの顔だち、静かな表情。
でも、その視線には人を射すくめる冷たさも感じます。鎌倉幕府を開いた人物にふさわしい風貌です。
しかしながら、これは頼朝像ではないという説が出され、大議論の末、別人説が優勢になっているようです。その代わりに浮上しているのが、山梨県の甲斐善光寺蔵の木像の頼朝像です。
制作年代が頼朝没年にいちばん近く、妻の北条政子が作らせたとされ、生前の頼朝を知っている人が納得したであろうと思われます。
細密にくっきりと描かれた画像と、立体感はありますが、傷みも激しい木像とでは、印象がかなり異なります。木像はいくらかずんぐりとしており、狸親父っぽくもあります(失礼!)。
しかし、去年修復されて、印象がかなり変わりました。眉根のしわが、意志が強く、山積する難題を着実に解決していく一流の仕事人といった印象を与えます。変幻自在の表情を見せる“大泉”頼朝は、さぁ、どっち?
木像制作から少し時代が下がる『平家物語』からも、頼朝の風貌がうかがわれます。寿永2(1183)年7月、源義仲の進攻を逃れて平家が都を落ち、10月に後白河法皇の使者が鎌倉に到着します。迎える鎌倉にとって一大イベントです。いわば頼朝の都へのプレデビューといってもいいでしょう。
時に37歳。頼朝は、「顔大きに背低かりけり。容貌優美にして言語分明なり」と記されています。
現代では小顔が人気ですが、一昔前の歌舞伎俳優には、顔が大きい人気役者が随分いましたね。木像の頼朝は晩年の姿でしょうが、『平家物語』に近いような。
ちなみに、「言語分明」とは、言葉遣いになまりがないことをいいます。13歳まで都で暮らしていた頼朝ですから、京から下ってきた官人にはうれしい京言葉が聞こえたことでしょう。
都に戻った使者は、頼朝のことを褒めちぎります。後白河法皇は、田舎者の義仲に対抗できる都会的な頼朝に、期待と好意を抱いていきます。
そういえば、弟の義経についても、『平家物語』は書き残しています。壇ノ浦の戦いで、平家軍は、なんとしても敵将の義経を討とうと、それとわかる目印を確認します。
義経は「色白う背小さきが、向歯のことにさしいでて、しるかんなる」男だそうです。目立つ出っ歯が目印とは……。
室町時代に作られたという『義経記』になると義経は美しく変貌し、次第に私たちが思い描くイメージに近づいていきます。この話は後日、機会があったらいたしましょう。今回のドラマでは菅田将暉さん。なかなか凛々しい義経になりそうです。
兄弟といっても、母親が違いますから、あまり似ていなくても不思議ではありません。ただ一点、小柄なことは共通していますね。
(NHKウイークリーステラ 2022年1月28日号より)
静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。