最近しばしば登場する巴。相変わらず腕っぷしが強く、夫の和田義盛を組み敷くことさえあります。一見乱暴に見えますが、実は義盛を温かく支えています。この不思議な組み合わせは、以前、#16で紹介しましたように、『平家物語』の一種(『源平盛衰記』)に書かれている巴の後半生の紹介に端を発しています。

『源平盛衰記』はなぜ巴を義盛の妻にしたのでしょうか。その答えも『源平盛衰記』に用意されています。繰り返しになりますが、もう一度、その内容を紹介しましょう。

巴は義仲のもとで関東の武士たちと戦い、最後に、女だから逃げよ、故郷の妻子に最期を語るように、と言われ、嫌々ながら従う。戦乱終結後、鎌倉に召喚される。和田義盛が巴の強力(ごうりき)を見込んで妻とし、朝比奈三郎義秀が生まれた。後に越中国で出家して人々の菩提を祈り、91歳まで生きた。

義盛には子どもが多くいましたが、妻については、長男の常盛の母以外はあまりわかっていません。義秀は三男です。「朝比奈」と呼ばれていることから、安房の(あさ)(ひな)で育ったようです。和田は三浦一族です。本拠の三浦半島と安房は目と鼻の先です(朝夷は太平洋側ですが)。

義秀の強さは、まず、『吾妻鏡』の正治2(1200)年9月の記事からわかります。

頼家が数名の武士を供に、小坪から舟を出して遊んでいたときのことです。小坪は鎌倉から三浦へ行く途中の海岸沿いですから、義秀にとっても縄張りですね。義秀は泳ぎの芸を披露することとなり、見事に海上を往復してみせます。次に、海中に潜って鮫を三尾捕らえて浮き上がりました。

話はまだ続きます。頼家が褒美として、皆が欲しがっている名馬を賜ることになりました。すると、兄の常盛が出てきて、馬を賭けて、兄弟で相撲を取りたいと言います。厚かましい申し出ですよね。でも、頼家は面白がります。

陸に上がり、ふたりは勝負することになりました。互角の力相撲です。決着がつきません。ところが、隙を見て、常盛が裸のままで馬に乗って逃げ去りました。兄に一本やられた弟の義秀は悔しがり、周りの皆は大笑いしたとのことです。

凛々しく豪放(ごうほう)磊落(らいらく)な若者です。腕力は強くても、どこか憎めないところがありますね。きっと、皆に愛されていたのでしょう。

この義秀が、合戦では獅子奮迅の大活躍をします。しかし、最後には安房に逃げ戻り、歴史から姿を消しました。

義秀の大力や合戦での活躍は評判となり、後世、さまざまな話が生まれ、とうとう地獄の門を破る怪力を発揮する話にまで成長します。

この親にしてこの子あり、とばかりに、父が剛力ならば十分に納得できる義秀の怪力ですが、『源平盛衰記』の編者は、その母にも強さを求めたようです。巴に白羽の矢が立ちました。しかし、義秀が安房で育ったところを見ても、残念ながら、木曽育ちの巴は母とはなりえません。

義盛・巴・息子たち。権力闘争の渦の中でどのような行動をとるのでしょう。目を離せません。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。