これまでに放送された「素朴なギモン」とその答えを、忘れないように復習しておきましょう。
みそ汁にスープ、カレーやシチューなどの〝汁物〟料理を鍋からすくうのに欠かせない道具といえば、そう、お玉。え、「お玉」......?考えてみると、なぜお玉はお玉なのでしょうか?


答え:お多賀がブームになったから

國學院大学大学院・新谷たかのり客員教授によると、「お玉」とは、「おたまじゃくし」の略称。これが、あの道具の名前として定着したのは〝おブーム〟が理由だと言います。一体どういうことでしょうか? 順を追って詳しくみていきましょう。

もともとは「魂杓子」

お玉の原型となる〝食べ物をすくう道具〟の歴史は古く、弥生時代から日常的に使われていました。例えば、ひょうたんを半分に切ったものや木を彫って作ったものなどがあり、全般に「しゃく」と呼ばれています。

一方、「お玉」という言葉のルーツは「いなだま」。つまり「米」に由来しています。日本では、稲作が始まって以降、その年最初にとれた稲を神仏に捧げる慣習(はつ)ができますが、その神聖な米=魂を入れる杓子なので、「たまじゃく」→「おたまじゃくし」と呼ばれるようになったと言われています。

強飯(こわめし)やおかゆを食べるために使われていた杓子。そのくぼみには「稲魂」が宿っているとされ、信仰の対象ともなったという。

とはいえ、ある時代までは、実際の呼び名は地域ごとにさまざまでした。それを全国的に統一するきっかけとなったのが、古くから「お多賀さん」として親しまれている滋賀県第一の神社、多賀大社です。

お多賀さんの伝説

多賀大社には、杓子にまつわる、ある言い伝えがありました。それが、〝奈良時代、元正天皇 が病に伏せった折、多賀の神職たちが強飯を炊き、杓子を添えて献上すると、たちどころに病が治った〟というもの。

以来、お多賀さんの杓子、「お多賀杓子」は、縁起がいいものとされ、参拝に来た人々に神様のお印として渡されるようになりました。

また、室町〜江戸時代、多賀大社境内にあった寺の僧侶たち(坊人)が、多賀信仰を広めるべく全国を行脚。その際に配って歩いたのが、このお多賀杓子でした。

縁起がいい伝説にあやかって、多賀大社の参拝客に配られた「お多賀杓子」。これが、汁物をすくう道具全般を指す名前に。

参拝ブーム到来!

さらに、江戸時代に巻き起こった〝お伊勢参りブーム〟も、お多賀杓子の知名度アップに一役かうことに。多賀の坊人たちは、年間何百万人もの人々が(隣の三重県にある)伊勢神宮を参拝したというこの流行にのるべく、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる*」という里謡を考え出します。

お伊勢お多賀の子でござる…伊勢神宮の祭神が、多賀大社の祭神であるイザナギとイザナミの子、アマテラスであることから。

これが功を奏し、多賀大社の参拝客も急増!土産として持ち帰られたお多賀杓子の名も、ついに日本全国に知られるように。
やがて、食べ物をすくう杓子自体が「お多賀杓子」と呼ばれるようになったと言います。

再び「おたまじゃくし」に

つまり、かつてはさまざまな呼び名で呼ばれていた「杓子(魂杓子)」が、「お多賀杓子」による天下統一を経て、(おそらく)より言いやすい「おたまじゃくし」に変化。
そして、最終的に「お玉」が定着したというわけです。

(NHKウイークリーステラ 2021年6月25日号より)